祖父は昔ながらの日本的な木造家屋に住んでおり、まだ幼かった私は祖父の家に行くたびにあちこちに見られる「継手」に美を感じていました。今思い返してみると、継手への興味こそが、私がモノ作りの世界に入るきっかけでした。

「継手」は、適切な形・大きさで加工することにより、木を最適に結合します。それらは決して建築を装飾するためのものはなく、あくまでもその機能を果たすためのもの。でもなぜかそれらはまるで芸術品のように、当時10歳だった私を魅了したのです。

 

どうして私は継手に「美」を感じるのか。

機能的につくられた継手がこんなに美しい理由は、継手がその機能性を求めた結果、一切の無駄を省かれた形だからではないでしょうか?

 

私たちは自然のありのままの姿に美しさを感じ、感動します。例えば草木や花の色・形がそれにあたります。それらは必要に迫られ、生きていく上でその形状になったものであり、まさに無駄がありません。だからこそ、私たちはその形に美しさや感動を覚えるのではないかと考えています。私は、継手にも同じものを感じるのです。

木を無理のない状態でより長く、強く、美しく保てるように使い続けていくことを考えた時、継手は最も有効な形となります。そうして作り出された形には一切の無駄はなく、「人工的な美しさ」ではなく、「普遍的な美しさ」が存在すると思うのです

なぜ継手は美しいのか